終わりよければすべてよし。

7月から続いていた東京行ったり来たり生活が終わりました。

3月頭、寒波が来た週に病院から「一刻も早く」と呼び出しを受けて
飛んでいったのですが、
それからほぼ一ヶ月、父の病状は小康状態で、
数回危篤があり、何度も東京待機をし、
最後は病院に数日間泊まり込みで付き添い、
結局桜が満開になった日、
輝く昼の日差しと桜の香りの中、息を引き取りました。

朝ドラで言うと、「カーネーション」で主役の糸子以外の妹達のような、
「花子とアン」で言うと花子以外の兄妹のような。
しかも、病気もせず、雑多に放り込んでも逞しく心配なくやっていけて、
勉強も人生もお金のかからない子だったので、
心配しなくてよかったせいか、まったく父の眼中になかった次女の私。
最後まで一番近いところでせっせと父の要望を全部叶えてあげたのですが、
姉しか見ずに逝ってしまいました。
いや、正確には、父の頭の中は
母が5割、自分が4割、姉が0.8割、私が0.2割だったので、
姉しかという程でもないけど。
少なくとも姉には形見に万年筆をと言い残し、
次女の存在は忘れてたらしいから、ちょっと涙出た。。。

葬儀も、まだまだ桜が満開で、
雲ひとつない青空とどこもかしこもピンク色に包まれた中のお別れ。
不思議なことに、すべての葛藤や苦しみが、オブラートに包まれたように遠くなり、
記憶から取り出すのが面倒になって、
思い出すのは、柔らかい桜色の景色ばかりです。桜の魔法なのかな。
それから、
カメラを向けると構える父だったので、
唯一見つけた笑顔を引き伸ばして作った写真だったのですが、
あり得ない難物だったのに、優しい笑顔の多い父だったように思わせられるマジック。

父が亡くなったのは昼の4時だったのですが、
その日の夜9時34分、父のお気に入りだったリビングの振り子時計が止まったんです。
別に父が生まれた時にやってきたわけじゃないけれど、
もう15年ほど家の真ん中で時を刻んでた時計なので、
驚いたのなんのです。
振り子は動いてるのに、時計の針だけ止まってるからよけい不思議。
「じゃあオレ、行くぞ」って旅立ちを知らせる為だったのか、
「足の動かぬ身体をようやく離れ、
喜び勇んで花見してから、今家に戻ったぞ―」って知らせなのか。
ただ、唯一の柱時計が止まって、すごく不便になってしまった私達。
直していいのかどうか、扱いに困ってたりします。
こういう自己中な迷惑をかけるのも父らしくてね。

弱音を絶対見せない昭和一桁の父は、
負けず嫌いであくが強くて難物で固くてブラックジョークが大好きな関西人で。
格好つけで帽子と鞄と靴にこだわる神戸の三宮っ子で。
三宮の仕立屋の息子だった、映画になった「少年H」とは一つ下の、
筋違いに家があった時計屋の息子だったらしく。
あの時代に信じられないほど人間の出来た、少年Hをかばい続けたお父さんと真逆の、
軍国主義に飲みこまれた、ほとんどの家庭同様の苦労した少年時代だったとか。

足が動かず病院を一歩もでられず、余命宣告をされると
普通の人は弱気になるらしいのですが、
一切弱音を吐かず、角を丸くすることもなく、自分を貫き通し、
最後まで自分の体力を使いきってまで生を投げ出すことなく生き続けて亡くなった父に、
「この人には敵わないな」と思わされました。
父に何かをしてもらいたくてこの半年頑張ったのではなく、
たぶんあっ晴れな父が好きだったから、私の気持ちとして頑張ったこと、
改めて、記事を書いていて発見しました。

終わりよければすべてよしって、ホント。
色んな思いが桜色にポワッと昇華して、良い思い出だけが残りました。
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by africaj | 2015-04-05 13:37 | 雑記