先日、実家の片付けに行ってきました。
実家の片付け、親の家の整理というのは本当に気が重くて、「当時は『終活』という意識はなかったのかしら?引き継いだ子供がどれだけ大変か思わなかったのかしら」と思うと、なんだか情けないというか腹立たしいというか、なんとも言えない気持ちで、なかなか手を付けられませんでした。
今やらないと、自分の体力や気力が落ちていくので、今日より明日のほうが重い腰が上がらなくなるし。空き家だし朽ちるかもしれない不安や、色んなことを抱えてスッキリせぬまま、憂鬱を引き摺っていてもね。いつ自分が健康を害して動けなくなるかもしれないし、「今できることは今する」のがすべての解決法。ここらでメスを入れることにしたのです。
で、全部自分たちでやろうとしないのもポイントですね。
回収業者に合見積をとってもらい、絞り込んだ中で交渉をして、自分の出せる金額になった業者と日にちを打ち合わせました。
その日に間に合うよう逆算して、3泊4日で全部の家の中をひっくり返して、残すものを選り分けました。
もうこうなると、やるっきゃないので、頑張りましたよ。
9割は捨てるものでした。案外未練なし。
迷うのは写真ですね。アルバムを少々取り置き、とりあえず写真を全部回収。あとで父母の晩年までの流れがわかるくらいに写真を取り置こうか。
着物も迷います。私が今後着るのだろうか。しかし、大切な日本文化だと思うと捨てられず。。。
ピンときた着物と帯、着付け小物だけ残し、とりあえず持ち帰ることにしました。
残った着物は、友人が着物のリメイクをしているというので、差し上げることに。
息子が生まれた時に足形を額装してプレゼントしたんですが、なんと私の足形が出てきまして。
考えることが同じなのねとクスり。
これは、子供の頃によく見た8ミリ!
売れるんじゃないかな。こういうものは持ち帰ろうw
さて。
ものに埋まって数十年たどり着けなかった家具の引き出しから出てきたのは、学生時代から旅に行くと家宛てに書き続けていた絵葉書でした。国際電話が馬鹿高かった時代、繋いでも時差で会話にならなかった時代、手紙を書くことを条件に旅を許されたので、せっせと書いていたのだけれど。
メコン川の渡し船の上で描いたなあと、思い出しました。みんなが覗き込みに来たw
これはパリ。
モンゴル。
これもモンゴル。
スペイン。
ホテルに備え付けの便箋で手紙を書くのも習慣で、中国やアメリカ、色んな国から書いた手紙が全部取り置かれていました。投函すると、自分の記憶からも離れるので、すっかりなくなったものと思っていたら20~30年経って私のもとに戻ってくるとは、なんだか不思議。
そして、これを書いている私を、すでに追い越した年齢の息子が読んで居るのも不思議。
母の部屋、居間を終えて、最後に寝室の押入れの片隅に、小さな箱に取り置かせてもらった結婚前の思い出箱の整理を。こんなものあっという間だと思っていたら、ラスボスは自分の残していった思い出の物の処分だったと気が付きました。
家を出るときにほとんど捨て、各年齢に一つずつと決めて詰め込んだから本当に小さいのですが。
子供の頃文通した友達との手紙、節目に送られた上司からの手紙などなど、終わったものなのでごそっと捨てかけてから、一応読み返したら、当時の自分に汲み取れなかった優しさや愛情が今は更に読み取れて、どんな本よりも情景を呼び覚ましてくれる力のある文字の塊でした。「人生の根っこ」といいましょうか。これを箱に入れて実家に封印していたから、私は自信ない人だったんじゃないだろうか?なんて思ったり。
え?!自信ない人?と必ず突っ込まれるんですが、すぐ自信が落っこちる。それを拾って自分でナデナデしてあるべきだろうところに戻す、そんなことを何十回も繰り返しながら生きてきたわけですよ。
「友人や上司からこんなに愛されてたり信頼されてたんじゃない、私」って手紙をそんなときに読んだら、もっともっと楽に生きられたかもしれなかったな。
そして、自分の若い時にやっていた仕事なども。
えー、いい文章書いてるなーとかw
会社辞めた後ほんとに拠り所がなくなって、人間どれだけ節約して暮らせるかって格安チャレンジを一年間やってた時期があり。冷蔵庫も洗濯機も持たず、風呂のないボロアパートで。七輪で暮らしてたのですが、その時色んな仕事をやっていて。
描くのが好きってのが高じて、
装丁の仕事とかも。自分でもなつかしー。
雑誌のイラストとか。
ほんと、人生できることなんでもやってきたなーなどと振り返る一日となりました。
親の家の片付けで、自分の人生を走馬灯のように見せられるとは思ってなかった~。
色々出てくると、片付けが座礁するわけですがw親のものは簡単にばんばん捨てられるのに自分のものは捨てられない(苦笑)
まあ、そんなわけで、
実家の片付けって気が重いだけでしたが、自分が見たことなかった親の子供時代の卒業証書とか、色々なものも出てきて「脈々としたもの」を感じられて。自分の人生も振り返れたしで、結論として「やって良かった」なのでした。
気持ちの整理もスッキリついたので、人生も次の段階に進める気がします。